こんな人が書いてます

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初めましてhassyです

名前:ハシダヒロカズ(通称ハッシー)

生年月日:1976年6月22日

出生地:鹿児島県

血液型:A型

星座:蟹座

職業:広告カメラマン、動画カメラマン

初めまして、ハシダヒロカズと言います。

小さな広告制作会社で写真の撮影、レタッチ、たまに動画の撮影や編集などを生業にしている者でございます。

この度、思うところがございましてサイトを立ち上げてみました。少し私の自己紹介をしたいと思いますのでお付き合いください

大阪で印刷の会社に入社

23歳で大阪の印刷会社に就職しました。

主にスーパーの折り込みチラシを制作、印刷をする会社でDTPオペレーターとして2年勤務していたのです。

同じ制作部に写真課という部署があり、主に撮影、プリント写真やフィルムのスキャン作業、写真のレタッチ作業を行っている部署でした。

当時の私は写真にはまるで興味はなかったのですが、写真のレタッチが面白そうだったのでそこでPhotoshopを勉強しました。

もちろん撮影の仕事をしていましたが、本当に簡単な物撮りしか行っていたかったので、本格的に勉強はしていませんでした。

大阪を離れ福岡に戻り、体と頭をオカシクする

大阪で5年過ごしたのちに、諸事情ありまして福岡に戻ります。

再就職先も同じ折り込みチラシを制作する会社でした。この会社にも写真を担当する部署はあったのですが、当時の私はデザインの仕事がしたいという思いが強かったので、ここでは再びDTPオペレーターとして勤務することにしました。

某大手家電小売店のチラシの制作するチームに入ったのですが、これがとんでもない職場で。

週に二日、三日徹夜するのは当たり前

しかも日勤と夜勤というシフト制で二週間ごとにシフトが変更になるのですが夜勤をしてそのまま日勤に突入して帰宅するという…

分かりやすく言えば、寝ずに丸一日勤務してから翌日の朝に出勤という書いていても意味がわからない勤務状況でした。

そうなってくると、徐々に胃が痛くなり、肌が原因不明で痒くなりました。

寝不足で頭は回らなくなっていき、精神的にも情緒不安定になっていきました。

しかも給料はビックリするくらいの薄給で、今考えたら自分の人生で最底辺の時期だったように思います。

再び写真の道へ

そんな中でも、少し光を見出す出来事がありました。

それは会社で社員証をつくることになり、社内のカメラマンが私の写真を撮影している時でした。

「ああ、俺も写真やっていたな…」

という言葉が脳裏をかすめます。

当時、身も心もボロボロだった私には楽しそうに撮影をしているカメラマンが眩しく見えました。

いよいよ限界に近づき、実家で同居していた親からも…

「もう辞めたら?」

との言葉が出てくる始末

かと言って、特別やりたい仕事もなく途方に暮れていたときに一本の電話がかかってきました。

大阪時代の上司からでした。

「福岡支店で写真の人員が開くから戻ってけぇへんか?」

大阪時代の会社には福岡支店があり、そこの写真担当への誘いの電話でした。

その後社長とも電話で話して、

「これも何かの縁や、一度行ってみぃ」

とも言われたので、福岡支店を訪れ再就職という流れになりました。

写真を再び学びなおす

こうして、再び写真の道へ進むことになったのですが、なにせブランクがあったのと本格的なライティング、撮影方法などを中途半端にしか勉強していなかったので、また一から勉強することになりました。

そして何度も失敗やミスを犯しながらも今では喜んでいただける写真をなんとか撮影できるようになりました。

そして今に至る

おかげさまで会社では広告写真を中心に、求人サイトの写真撮影や縁があってブライダルの写真撮影、たまに幼稚園の撮影などボチボチやらせていただいています。

また、動画撮影、編集も仕事してやらせていただいてもらったり。

若い頃に勉強した印刷の知識とレタッチの知識をつかって写真の編集業務などもやらせていただいております。

このブログを立ち上げた理由

カメラマンという仕事をしていて思うことは

「カメラマンはサービス業である」

と個人的には思っています。

いわゆる写真家と呼ばれる芸術作品を創作する方もいらっしゃるのは事実です

しかし私は「プロカメラマン」「商業カメラマン」という立場から自分の知識や経験をアウトプットすることで、すこしでも写真に対する意識、技術の向上のお手伝いになれば良いなと考えてブログを立ち上げました。

拙い文章と写真ではございますが、長いお付き合いをしていただけたら幸いです。

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