【6月1日は写真の日】幕末の名君、島津斉彬はカメラの殿様でした

コラム
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6月1日は写真の日。

これは1951年に日本写真協会にて制定されたもので、由来は1841年6月1日に日本人によって初めて写真撮影が行われてた日だからと言われていましたが、実際は1857年9月17日の誤りでした。

しかし、一回決めてしまったことだったので、そのまま6月1日が写真の日となっています。

さて、この日本人による初の写真撮影ですが、モデルは幕末の薩摩藩主、島津斉彬です。

幕末の大河ドラマでは坂本龍馬や西郷隆盛と並んで登場人物のレギュラーメンバーの一人です。

島津斉彬は幕末における名君の一人ですが、写真撮影にも大きく影響を与えた人物です。

今回は私の趣味も兼ねて、島津斉彬について書いていきます。

島津斉彬とは

島津斉彬は1809年4月28日に江戸の薩摩藩邸で生まれます。

幼い頃に曽祖父であり、西洋文化に傾倒していた島津重豪の影響も受けて洋学に興味をもちます。

藩主の嫡男でしたが、藩内のゴタゴタもあり、ようやく42歳で藩主になると、藩内を強くするために、西洋技術を取り入れさまざまな事業を起こしていきます。

政治の舞台でも徳川慶喜を14代将軍にしようと動いたり、下級武士だった西郷隆盛や大久保利通を登用したりして、明治維新の土台をつくっていきました。

しかしながら1858年8月24日に突然の病でこの世を去ることになるのでした。

享年満49才という生涯でした。

島津斉彬と写真

日本に写真技術が持ち込まれたのは黒船来航の1853年〜1854年ごろのことで、私のブログでも少し紹介しました。

【考察です】写真の真ん中は早死にするという迷信を検証する
子供の頃、祖母が言っていた「三人で写る写真の真ん中は早死にする」という言葉、もちろん迷信ですが、私は何故そんな迷信が存在するのか?カメラマンという職業に就いたからこそ考えてみました。調べてみたら写真の歴史と深く関わりがあることが判明しました。

ペリー艦隊に同行してた写真家によってもたらされた写真技術でしたが、島津斉彬が実際にカメラを手にするのは長崎からもたらされたものでした。

斉彬は

「父母の姿をも百年の後に残す貴重の術」

という認識から藩内に写真撮影の研究をするためのグループを作り、自らも主導して8年の歳月をかけて研究開発を行い、1857年に斉彬本人がモデルとなり、日本人による初めて写真撮影が行われました。

Wikipediaより、実際に撮影された島津斉彬

家来である市来四郎が明治17(1884)年にまとめた『斉彬公御言行録』には…。

翌十七日、天気晴朗、午前ヨリ御休息所御庭ニオイテ(此日ハ御上下御着服ナリ)三枚奉写、……是レ安政四年丁巳九月十七日ノ事ナリ、……是ヲ日本ニオイテ撮影術ノ嚆矢トス

と書かれています。

今でも鹿児島市にある尚古集成館にはこの時撮影された写真が展示されています。

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私も見たことがありますが、現物はとても小さく、ぼんやりと侍の姿が写し出されていました。

しかし、これが明治維新の原動力を育てた島津斉彬本人の姿だと思うと、とても感慨深いを感じました。

カメラマンとしての島津斉彬

撮影技術を研究し、モデルとなった島津斉彬ですが、カメラマンとしても自ら城の写真を撮影したり、自分たちの娘の写真を撮影したと言われています。

Wikipediaより、島津斉彬が撮影したと言われる自身の娘たち

当時の日本人が、写真を撮影すると魂が抜かれるという噂を本気で信じていた時代に、藩主自ら写真撮影を行うことは、きっと好奇心の旺盛な人だったんだと思います。

時が流れ、明治に入るとあちらこちらに写真館が誕生し、気軽に撮影を行える時代が訪れていくことになりました。

現在ではスマートフォンで写真を撮影し、多くの人がそれを目にできる世の中になっているのを島津斉彬はどんな感想を持つのでしょうか、きっと驚いているに違いないでしょうね。

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